愚痴
愚痴って非生産的で何の意味もないように思うのだけど、つい先日父親に感じた気持ち悪さをどうしても溜め込めずに母親に話してしまった。
すると、何の解決にもならなかったけれど、心の突っ掛かりがかなりなだらかになったような感じがして、ガス抜きって効果が十分にあるのだと思った。
傷を舐め合って、励まし合いながら、嫌なことと折り合いをつけて生きていく。そういった生き方も必要なのかもしれない。
自分は前職では毎日のように愚痴を溢していたし、今も耐えきれないときはTwitterに書き込んだりする。言葉にすると多少落ち着くような気がする。嫌なことは吐き出さないと、延々と脳内でループ再生されて終わりがない。途中で擦り切れて消えることもあるけれど、すぐには消えないことも多々ある。時間が経てば忘れることの方が多いけれど、即効性を求めるのならば言葉にするのが一番。手っ取り早い手段としてTwitterが自分には今のところ最適だった。手帳に書く方が健康的だろうけれど、たぶん面倒なのでやらないだろうな……。それほどまでにTwitterはお手軽だ。
と、嫌なことから一週間くらい経ってようやく落ち着いてきたので書いてみた。愚痴は非生産的だけれどやっぱり必要。腸内でガスが溜まりすぎるとお腹が痛くなるみたいに、心も嫌なことを溜め込むと悲鳴をあげるんだな〜って思ったので、無理して"いい人"になろうとしないで、ありのままの自分の思考を受け入れること。それが無理せず生きることに繋がるのかな。
思考の癖は誰しもが持っていることで、それを含めて自分の不満に思っていること・本当はどうしたいかをちゃんと分かろうとしてあげないと、しんどくなっちゃうよね。死ぬまで自分は自分なんだから、きちんと自分を見てあげようね。
とはいえ愚痴ばかり溢すのも客観的に見るとあまり良くないと思うので、ちょっとしんどいなくらいのことの場合は、内容に言及せずに「しんどい」だけ呟いておけば気が紛れるかもしれない。本当にしんどくなったらまた呟けばいい。
ツイッターランドはこれだからやめられないね。
以上