クレーマー

この前ヒステリックに当たってきた人が今度は自分に感謝する。対応を認めてもらって有難いことなのだろうけど、そういう人を見ると、人間って一つの流れのようなものなのだろうなと感じる。

今は楽しいけど未来は悲しい。みたいな不確定な要素によって状態が変わってくる。それの繰り返しの一つの川。

空が綺麗だから穏やかな状態のときもあるし、空が綺麗だからと言ってそれに気付けない状態のときもある。

波があってこその人間味だと思うけれど、その波が他人を傷つけるようなことはしてほしくないし、したくない。自分は喜怒哀楽ちゃんとそれぞれ持っていて自分の感情を大切にしたいと思っているけれど、肝心なのはその感情のコントロール更年期障害とかあるし、大人になっても難しいんだろう。

嫌なことがあったら傷つけたい、というのはあると思う。嫌な奴は徹底的に苦しむべきだと自分は思うけど、それは自分の知らないところであってほしい。

 

でもそれって人と向き合うことにはなっていないんだよなとふと感じる。怒りながらも主張することで伝わる事実もある。そこで打ち解けられた瞬間に繋がりは深くなるだろうし、クレーマーとファンは紙一重という考えの通り、得られるものは少なくない。

 

結局は、自分はどうしたいかの問題のような気がしてきた。

穏やかに過ごすか、嫌な思いをしてまでも強い繋がりを望むか。

いつもの通り、やれることをやって、無理だと判断したら向いている人に投げるのが最良。自分には、他人の状態やその理由なんてそもそも興味がない。ヒステリー起こしている人なんて尚更どうでもいい。自分で自分の機嫌を取れない挙句人に当たる年配者は敬う必要がないと信じている。

 

以上