unique制約

最近よく母親に「女らしく」するように言われているのですが、女らしくしてどうするのかってふと疑問に思った。

 

やれ髪伸ばせ、やれ服装を大人っぽくしろ、

そんなの個人の好きにしてよくないか?

女らしくすることで社会的規範には則ることにはなるだろうけど、「自分」はどこ行った?

好きな髪型にして好きな服を着て好きに生きたいっていうのは我儘か?

 

そもそもこの時代に男女云々言うのがもう古いと思う。

国が男女平等を謳ってから何年経っているのか。労働にしても風潮にしてもまだ格差があるように感じる。

 

場に合わせた服装は分かる。

マナーとして弁える。

 

ただ、誰の迷惑にもならない、男女問わない個人の自由は誰しもが持っていなければいけないものじゃないのか。

 

男だから〜、女だから〜、っていう縛りはそろそろなくしてほしい。

「男」「女」というカテゴリーではなく、「人間」として同じ扱いにしてほしい。

 

そうしたら少しは「自分らしく」というものが表面化されて、自由に近付くんじゃないかと思う。希望的観測ではあるけれども。

 

 

自分は人から好かれやすいというわけではないけれど、取り繕った自分を評価されるよりは、ありのままの自分でいることの方が重要で、人生においてそれに重点を置いている節があるので、そういったことに拘りがあるのだと思う。

 

自己中心的だと思われるかもしれないけれど、多様化として個々人の個性を認められるような社会になればなあ、と常々思っている。

もちろん自分でも悪いなと思ったところは直すように気をつけるけれど(自分は悪くないと思っているときは流す)、他人がどう思ったところで自分の考えに合わないこともある。

自分の感性で生きているので当然反りの合わない人間もいる。

でもその上で上手くやっていけるような器用さも時には必要なのかな。それは妥協点を見つけるしかない。

 

とりあえず、性別関係なく自分らしく生きる。

それが自分の人生において一番重要なことだと信じている。

 

窮屈な人生なんてつまらないし、いつでも自由な感性は失いたくない。

 

それだけです。

ジェンダー論じゃなくなってた。