内省

毎回久しぶりのブログです。

ツイ消しをよくするので言語化のために。

 

わたしにとって人間関係は最重要で、仕事内容は二の次三の次なんですが、わたしの望む人付き合いの方法をそろそろ見つけなければ。

元々興味のあることしかしたくないと思っている節があって、でもわたしの興味の対象は突き詰めれば人にあって、物事にはあまり執着しないということが最近分かりました。

となると、自分の好きな人や興味のある人とさえうまくやっていけばいいと思うんですが、そういうわけでもなくて。

人に嫌われず、尚且つ好きな人と仲良くなりたい。

 

まず、人に嫌われないというのが難しい。

数年以上愛煙家であるため、嫌煙家には当然嫌われる。性格が捻くれているため、取り繕わないと面倒がられる。そうなってくるといずれはガタが来てしまって全部ぶちまけて終わり。面倒な人間であることを認識してその上で付き合ってもらわないと双方嫌な思いしかしない。

可能か不可能かで言ったら不可能ですね。

まあわたしが全部我慢して上部だけで乗り切るか、根本的に性格を変えるか、医療がめちゃくちゃ発達して脳を弄るかしかない。無理。

 

好きな人と仲良くする、というのも難しくて。

自分は好意的に思って接していても感覚が恐らく常人とズレがある上、自分が嫌いというどうしようもない根底があるのでパニックになる。情緒に大波があるので、気分のいいときは平気かとは思うのですが、落ち込むと全てが信じられなくなってしまってやたらと疑心暗鬼になる。そうなってくると必然的に安定した交友関係は築けなくなってくる。

 

どちらも、周りが変わるか自分が変わるかでしか解決しないので、この事件は迷宮入りです。

 

そもそも自分を変えると言っても、25年間生きてきて培ったものはそう簡単に変えられるものではない。

出来ることと言えば、そういうものを全部割り切って諦めることくらい。

でも、全部割り切って「わたしはこういう人間だからこんなことも許してくれよな!ガハハ!」って開き直る生き方は見苦しくて好きではないので、努力は続けていきたいと思います。

 

周りに元々あまり期待はしていないし、期待をしている自分に気付いたらやめるように心がけているつもりではありますが、理想的な人間関係って憧れてしまう。

曖昧な環境で曖昧な人間関係築いて曖昧に過ごしていくっていうのが性に合わなくて、思ったことがあったら伝えたいし、逆に忌憚ない意見を聞きたい。常に。でもみんな隠すのが上手だから必要以上に疑って、勝手に自己嫌悪してしまう。ちゃんと言葉を聞きたいんですよね。

雰囲気を察するのが苦手、とわたしはよく言ったりするんですが、別に分かりやすいムードが分からないわけではなくて、全部言葉にしないと納得出来ないというだけで、でもそれを言うのもな〜って遠回しな表現です。人って本当は何を考えてるのかまでは分からないジャン……。

 

出来る限りの今後の工夫としては、

 

1. 人の悪口を言わない。

2. 興味の対象を全然関係ないものに移す。

その話題では常にポジティブになれるように。

 

くらいですかね。多すぎると分からなくなるから2つ。これが出来るようになれば恐らく大分違うだろうなと思う。

他にも、すぐ顔に出るのを治すとかいうのもあるんですが、まあこれはその2つが治ったら考えます。

 

人に左右されずに生きたいし、常に自分を持っている人を羨ましく思ってはいますが、わたしがそうなれるかと言うと現実問題不可能なので、身の丈にあった生活を。

 

 

以上

 

p.s. 本日誕生日を迎えました。

25歳になったわたしもどうぞよろしく。

沈殿する

「そういう決まりだから」と納得できない仕組みを当然のように正当化される。

それじゃあ年功序列もいいとこ、古い無意味な体制も全部通ってしまうわけで。

古き良き、って言葉、好きではあるんだけど、使いようによっては時代に追いついていない過去の遺物になるじゃん、って。

 

言い返せば「普通は」「基本は」で全て返されるの、そのまま朽ちてけって思う。

 

そんで反論すれば反抗的で使えないやつって思われんじゃん。は?

 

見て見ぬ振りして、上の人には口答えせずに、やっていけばいいんですか? 無理。

 

自分はそんな気遣い出来ないし空気読むのも出来ないけど、言いたいこと言いたいしやるべきことをやりたい。我儘ですかこれ。

声のでかい人には萎縮しちゃうし怒ってる人は見るだけで嫌でどうしても行動が制限されてしまう。

どうすりゃいいんだ。

 

みんな怒るし怒った姿一度見ちゃうとその人無理ってなるから、どんどんどんどん足が動かなくなるし声も出ない。頭痛いし気持ち悪い。

怒ってても猫なで声出来るやつ何こわい。明らかに苛ついてんのに乾いた笑いで温和気取りながら馬鹿にしてくるやつ気持ち悪い。二面性がこわい。表裏使い分け出来るやつは生きやすいんだろうな。

 

改めて書き出してみると自分の世界小さすぎてくだらないしこんなくだらないコミュニティで苦しんでる自分が滑稽で仕方ない。

 

 

泣きながらこれ書いてるんだけど、自分が悪いって分かってるんだよな。無能すぎて働いてるところ絶対友達に見せられないし一緒に働いたら確実に呆れられるの分かってる。

使える人間ってなんだろね。うまくコミュニケーションとるにはどうしたらいいんだろうね。まあ友達以外みんな嫌いだからそもそもコミュニケーション取りたくないんですけど。

 

女社会嫌だと思うけど、男いても社会が嫌なのは変わらないし、とりあえずひっそりと生きていたい。はやく死にたい。昔からはやく死にたかったしこれだけは変わんない。高校生のときは20までに死ぬって思ってたのにな。もう24だよ。

生きるのに意味なんてないし死んだって別に何も変わらないし楽しいことあってもつらいことたくさんあるしつらいことのが重いしで、せめてもの抵抗で煙草吸い始めてヤニカスになった。寿命が縮まりますようにって思ってる。

 

なんか残せればなにか変わるのかな。

自分は変わりたいのかな、何かを求めてるのかな。

 

分からないままに惰性で生きてる。

unique制約

最近よく母親に「女らしく」するように言われているのですが、女らしくしてどうするのかってふと疑問に思った。

 

やれ髪伸ばせ、やれ服装を大人っぽくしろ、

そんなの個人の好きにしてよくないか?

女らしくすることで社会的規範には則ることにはなるだろうけど、「自分」はどこ行った?

好きな髪型にして好きな服を着て好きに生きたいっていうのは我儘か?

 

そもそもこの時代に男女云々言うのがもう古いと思う。

国が男女平等を謳ってから何年経っているのか。労働にしても風潮にしてもまだ格差があるように感じる。

 

場に合わせた服装は分かる。

マナーとして弁える。

 

ただ、誰の迷惑にもならない、男女問わない個人の自由は誰しもが持っていなければいけないものじゃないのか。

 

男だから〜、女だから〜、っていう縛りはそろそろなくしてほしい。

「男」「女」というカテゴリーではなく、「人間」として同じ扱いにしてほしい。

 

そうしたら少しは「自分らしく」というものが表面化されて、自由に近付くんじゃないかと思う。希望的観測ではあるけれども。

 

 

自分は人から好かれやすいというわけではないけれど、取り繕った自分を評価されるよりは、ありのままの自分でいることの方が重要で、人生においてそれに重点を置いている節があるので、そういったことに拘りがあるのだと思う。

 

自己中心的だと思われるかもしれないけれど、多様化として個々人の個性を認められるような社会になればなあ、と常々思っている。

もちろん自分でも悪いなと思ったところは直すように気をつけるけれど(自分は悪くないと思っているときは流す)、他人がどう思ったところで自分の考えに合わないこともある。

自分の感性で生きているので当然反りの合わない人間もいる。

でもその上で上手くやっていけるような器用さも時には必要なのかな。それは妥協点を見つけるしかない。

 

とりあえず、性別関係なく自分らしく生きる。

それが自分の人生において一番重要なことだと信じている。

 

窮屈な人生なんてつまらないし、いつでも自由な感性は失いたくない。

 

それだけです。

ジェンダー論じゃなくなってた。

曳かれ者の小唄

最近は何もしないでただ睡眠をとって過ごしています。医者に休養しろって言われて生活をしているけど多分こんなことじゃない。

朝ちゃんと起きて何かしら(勉学や運動など)に励んで今後どうやって生きていくかじっくりと見据える期間だと自分で認識しているのですが、何しろ無気力で惰性のソシャゲしかしてない。そして元々ロングスリーパーなので、活動する時間も短くなり、やらなくちゃいけないことを延々と先延ばし。

なんとなくやりたいな〜ってことは出てくるけど、それが続くビジョンが全く見えないんですね。アカン。


大分前から感じていた世間と自分とのズレに対して医者に話したら、6月ごろにテストをするみたいなので、不安しかない。でも社会に属して「ズレてるんだよね」って言われないことがないからどうなんでしょう。個性と見るべき?

まあ一つの転機として成るだろうと思いながらやってみます。


以上

れむれむ睡眠

今友人たちとカラオケオールをして今のうちに寝ておこうとホテルに泊まっているのですが、どうにも寝られず久しぶりにブログを書きます。


土曜日の夜から友人たちと合流し、馬刺しを食べてカラオケオールをしました。23にもなってオールは体力的に厳しいですね。

ここ数ヶ月処方された薬を寝る前に飲んでから入眠していたのですが、それを飲まなかったからか体力が尽きたのか、途中ありえんほど体が疲れてた。眠すぎる〜〜ってことは今まであったのですが、今回みたいなのは初めてなので、もう離脱症状が出る時期か?

そして新宿で早朝泊まるところって中々見つからないんですね。だいぶ運転手に苦労をさせてしまった。遠方から来る友人のためにちょうどいいところを時間のあるときにでも探すか……。


そんで今ホテルのベッドで横になってとりあえず体を休めています。たまに動悸と呼吸の苦しさがあるけどまあ大丈夫でしょう。

この時間に眠れないのは普通に正常なことだし、はい。

睡眠をコントロール出来るようになりたい。


以上


近況

今日は祝日前なので同期とボーリングなのですが、まだ時間があったのでブログ書きます。


最近は誰かとよくLINEするようになりました。

前はLINE返すの一週間とか空いてよく怒られましたが、成長したのか気分の問題か。

社会人になったので連絡を早くするのが身に付いたと捉えたいのですが、そうでもないので…。


今日は前述した通り同期とボーリングなのですが、同期に恵まれていなかったら速攻で辞めていたと思います。

友達に恵まれていて本当に感謝しています。

そして終わったら同期の家にお泊まりで、そのあとコロニー行って宇宙を手に入れてきます。充実してますね。コロニー行きすぎ。


そういえばTwitterにも書いたのですが、今日は評価面談でした。

「自分に甘い」「薬なんかに頼っちゃダメ」と言われ続けるだけの時間でしたが、なんとなくコツが掴めてきたような気がします。

要は普段ちゃんと長と仲良くして真面目に報告してスキルをあげればいいんですね。今の自分には難しいけど。まあそのうち慣れるでしょう。「時間が解決するものじゃない」とも言われましたが、わたしは時間は偉大だと思っているので思想が違うものは相いれませんね。そういうところが「学生の延長」と言われてしまう原因でしょうか。たぶん何に対しても責任感が欠如してるんだと思いますが…働き続けるなら磨いていきたいですね。


とまあ近況でした。

働きたくないなあ。

モラトリアムの花束

何となく忘れたくない生活をしたので、ブログを開設してみました。

記録しないと忘れてしまうという悲しい頭をしているのでせっかくならばと初のはてなブログ

 

28日(土)に大学の先輩と水煙草のお店へ行き人生初の水煙草を吸ったあと、他の先輩たちとも合流し、知り合い以外の小説家の方に初めてお会いしました。

とても気さくで話しやすい方で、初対面にも関わらず緊張せずに話せたと思います。(会話に至らないところがあったかもしれませんが……。)

そして、夜が明けるまで合流した先輩の住むシェアハウスでボードゲームやポーカー、麻雀(これに関しては完全にわたしは観衆でした。)をしました。あとドラゴン・オブ・ナチスというB級映画を見てげらげら笑っていました。ああいう映画も嫌いじゃないです。そして明け方にパスタを作っていただいて食べたのですが、あったかくて美味しかったです。母親以外の料理を食べることが珍しいので、そこのシェアハウスの人の手料理はどれも珍しく、温かみがあって大好きです。

そんなわけでまあそのときの大学生活の延長のような楽しい感じを忘れたくなくてこうして記録をしようと思ったわけです。

住人の方も優しくて、またぜひ一緒に遊びたいと思いました。